エオレンひとつの誓い。(ルールは少なければ少ない程良い)

 まいど、センジマンです。

 

こっちのブログのみをご覧の方にはなんのこっちゃ感しかない「エオレン」と言うワード。正式には「エオレンジャー」って言います。

 

エオレンって略したのは”ウルトラ5つの誓い”の語感をオマージュした感じですね。

 

これは私が好きで続けているオンラインゲーム「ファイナルファンタジー14」をプレイしながらセンジマンってこういうキャラ(性格とか特性)だよーって言う説明としてすごく便利な言葉(造語)なんですよね。

FF14の世界「エオルゼア」を守るスーパー戦隊がいるとしたら名前はきっと「エオレンジャー」だろうって言う感じで誰が思いついたのかすら解らない位昔からある言葉だったりもします。

 

ゲーム内外で一緒になって盛り上げてくれたりフォローしてくれたり、好きで居てくれる人達と楽しむ時のキーワードみたいな物だと思って頂ければ解りやすいかと思います。

 

現状FF14内に私の知る限りエオレンジャーは500人以上居るます(たぶん)。

というか把握しきれていないので2000万人とか居るのかもしれませんw

 

単に「エオレンジャー」って言う言葉のにで言うとセンジマン自身ですら「混ぜてもらっている側」だと言う事も付け加えて書かせて頂くんですが…マジであれ誰が最初に言い出したんだろう、思いついてくれてありがとうってお礼を言いたいんだけど全然分からなくてすみませんw

 

なので他の方が主体のエオレンジャーではもしかしたら違うのかもしれませんが

「センジマンがやっているエオレンジャーを好きで居てくれているのならこういう事に気を配ってくれると嬉しいな」

って言う考えがあったりするのです。

 

つーわけで、たまにはこういうブログ記事で「ヒーロー戦記エオレンジャーの心得」みたいな事を書いてみるのも良いのかなって思いました。

 

と、言う訳で今回のテーマはこちら。

 

「エオレンひとつの誓い。(ルールは少なければ少ない程良い)

 

まどろっこしくなるのは好きではないので結論である「ひとつの誓い」が何かを最初に書いてから続けます。

 

エオレンひとつの誓い「なるべく人に迷惑をかけない」

 

かれこれもう4年位エオレンジャーをやってますがマジでこのルールの事以外ありません。

下手したら「ルールなんてあったの?w」って言うエオレンジャーも480人位いると思いますw

 

では「何故ルールがひとつしかないのか」「ルールがひとつだけなんて大丈夫なのか」等を書いていきますね。

 

・ルールが多ければ多いほど各自の判断力が培われない

自分でこのルールは少ないほうが良いって考え方は以前から持ってたんですが心理学的にも(子育てにも有効であると)研究で実証されていたりもしますって言うのを最近知りました。

「ルールにさえ沿っていれば間違えない」って言うのは(広い意味で正しい部分もありますが)各自の「判断力」を鍛える点においてはアンマリ有効ではないんですよ。

なので各々が自分で考えて動く事が自然に出来れば良いなと言う想いがこのたったひとつのルールには込められています。

 

・ルールが多くなると矛盾も多くなる

これは単純に「人間の頭ってそこまで良くないよ?」って言う話ですねw

思い付きでルールを追加するタイプの人が采配する立場のコミュニティ等で良く起こりがちで、考え方が流動的(それ自体は悪い事ではないけれど)なのに都度ルールを決めてしまう(これが流動的ではない物な)ので矛盾になっていくっていう流れ。

国家の法律ですら日々変更するかどうか話し合ってるのに、ね。

 

・ルールが少ない方が状況を読み他者と助け合える

ルールが多いと誰かをフォローしようとしても決めてあるルールに添えない行動をしなければならなくなったりして動けない、とか出てきますよね。

「挨拶は必ずしましょう」は実はオンラインゲーム上では挨拶を「必ずしなさい」とルール付けすると弊害が(会話の内容が途切れてしまったりする事が)あるので「必ず」みたいな強めの言葉もどうかなぁって思っています。

空気読んで黙ってたのに「なんで挨拶しないの?」ってなる為にその「挨拶をしましょう」ってルールを作った訳じゃないのは理解していますが、結果として「挨拶したとかしてないとかで揉める」のならそんなルールいら無くない?って言う事ですね。

そういう強めの言葉を使うのも広くコミュニティ形成をする事において逆効果なのでエオレンひとつの誓いの内容も「なるべく」と言う言葉を入れてあります。

 

・ルールが少ない程「みんなの力」をひとつに出来る

これも重要でルールが細かすぎると各自「出来る事と出来ない事」が出てきますよね。

「ルールで禁止して出来ない事」の中に「その人の得意分野」があった場合はその才能を発揮できない訳です。

ただ道徳的だったり倫理的な部分はしっかりと「各自」で考えられる様にしないと才能があってもただのやべぇやつにしかならないので「少ないルール」は基本的に「道徳的に本質を突く物事」にする事が重要です。

そこが解消された上で自由があれば人の才能はどこまでも伸ばせるんじゃないかと私は考えています。

 

・・・

 

思いつくままにいくつか書いてみました。

金銭が発生する契約みたいな事はまた別で、違う見方で書いている事をご了承頂ければ有り難いんですが、多分大丈夫ですよね…w

 

途中に書いた「心理学的にも言われている」のが分かる本がありましたのでご紹介しておきます。

 

アダム・グラント著「ORIGINALS 誰もが「人と違うこと」ができる時代」

ドナルド・サル、キャスリーン・アイゼンハート著「SIMPLE RURLES」

Kindle版ならスマホでも読めますのでKindle版のURLにしておきますね。

 

2冊それぞれで幼少期のルールが少ない家庭であればあるほど成功者が多い、とか仕事が早い人の考え方はシンプルに思考する事である、みたいな事が色々書かれていますので興味のある方は是非ご覧になってみて下さい。

 

ではまた。

 

※追記・・・こちらの記事「人に迷惑をかけるなと言ってはいけない」にて盛大なブーメランが完成してしまいましたのでリンクを張った上でお知らせ致します@@

 

senjiman.hatenablog.com