「カテゴライズ」は精神安定剤、用法用量を守ってご服用下さい。

どうも、センジマンです。

 

最初に書いておかないと行けない事があって。

 

「カテゴライズ」をする事自体をどうこう言いたい、とか否定する内容ではありませんので誤解なされませんようにお願いいたします。

 

なんでこんな書き出しかって言いますと「友達にカテゴリ分けがすごく好きな人」が居る為です。

 

その友達は今回書こうとしている部分ではなくて「そういうエンタメ」としてやっているんですよ。

 

それで「すぐカテゴリ分けしたがるキャラのノリ」で遊ぶみたいな感じなので該当しないんですが、もしこれをみて怒ったら悪いなぁって思ったので冒頭に言い訳しました。

 

って事で今回のテーマです。

 

「カテゴライズは精神安定剤

 

人は基本分からない事や理解できない物事に「恐怖」を感じます。そういう風に脳が出来ているんです。

 

なんでかと言うと「分からない、理解できない」を怖がらないと死ぬ確立が上がるからです。

 

高い所から飛び降りたらどうなるのか、現代の人間はほとんどみんな知っていますがそれを知らない時期(幼少期等)もありますよね。

 

分からないけどやってみようって言う好奇心も人には備わっていますが大体の人間はそれよりも安定した状態を求める傾向にあり、不確定要素は排除したい。

 

なので「不明、理解できてない」を嫌い恐怖する傾向に脳が発達して行き人類は生き永らえてきているんだと思います。

 

しかし先程も書かせて頂いた通り人類は分からないものを「分かっていく」努力も惜しみなく行われているので、今や「高い所から落ちてはいけない!」と言う事実を知るに至りました。

 

すばらしい脳の進化ですね。

 

そうです。

 

「分かってしまえば怖くない」のです。「柵を設置」したりそもそも「高い所に行かない」とか対策が立てられますからね。

 

ただこれには複数の側面があり本当に「分かった、理解できた」と言う事ではなく

 

このカテゴライズをしただけで何故だか「何か分かった気がする」んです。そしてそれだけでも心が比較的安定してしまう、と言う点なんですよ。

 

本当にその物事を理解出来るならとても良い事なんですがテーマにある「カテゴライズ」の作業ではどちらかと言うと

 

残念ながら「何か分かったような気になる」効果のみで終わる事が多い。

 

でも結局全ての事柄を分かる必要も無いと言う前提もあるのでカテゴライズを便利に使って心を落ち着けて行ければ良いんじゃないかなって思います。

 

例えばどっちでもいいけど何か気持ちがもやもやするなぁって言う物事を適当に「カテゴライズ」したりカテゴライズされている情報を見たりして「なるほどなるほど」って思う事。

 

それ自体本当は「全然理解出来て」いなくても情報を「処理した」と言う達成感と満足感で少し人としてのレベルが上った様な気持ちになれるんだと考えています。

 

もうちょっと脳科学的な見地から言うとこのカテゴライズでの精神安定は男性脳的なのかな。

 

男性脳って「仕分け」とかすごくしたがるらしいんですよ。

 

ショップの陳列を男性に任せた場合と女性に任せた場合で明らかに違いが出るのもこの「カテゴライズ」というポイントです。

 

男性の陳列は「野菜・果物」で分けますが、女性は「色合い・オススメ」等を優先して陳列します。

 

端的に言うとフィギュアショップでは男性脳で陳列すると売れやすく、化粧品売場等では女性脳で陳列すると売れやすい。

 

みたいな。

 

男性脳は「カテゴライズ」を分類分けして安心する。女性脳では「カテゴライズ」は分類をあまりしない傾向にある、と言えるのではないでしょうか。

 

ちょっと目線を変えると「整理整頓」をしていると何故か心が落ち着く、と言う部分にも通じるものがあるのかもしれませんね。

 

これはもうひとつ「目に見えて成果がわかる為」心が落ち着くと言う側面もあります。

 

ただあんまり「これはこうだ」とか「これはここにあるべきじゃない」とか思い込みすぎると逆に自分のカテゴライズから外れた物を見てとんでもなくストレスを感じてそれを排除するために膨大な時間を無駄に費やしてしまう結果にもなりかねません。

 

なので「用法用量をお守り」頂きつつこの「カテゴライズ」というお薬をご利用頂ければ幸いです。

 

ではまた。

真面目でいい人程クソリプをしてしまう

どうもセンジマンです。

 

今回は「真面目でいい人程クソリプをしてしまう」でお送りします!

 

最初に謝ったほうが良いみたいな流れですが…旗からクソリプを見てたりしてると正直あるある過ぎる程のあるあるなんです。

 

正確には「色々悩んだ結果クソリプになってしまっている」と言う事なんですが。

 

私はツイッターでは(多いか少ないかはちょっとわかりませんが)フォロワーさんが5千人を少し超える程度の感じでやらせて頂いております。ありがとうございます!

 

んで、日常的なつぶやきもそこそこさせてもらっててそのツイートにリプを頂いたりもしばしばで。返せる時はお返事もさせて頂いているんですね。

 

しかしその中にはいわゆる「クソリプ」もまぁゼロではないんですよw

(本当に言い方が悪くてすみません!)

 

ツイッターは元々ネット上での活動をしている繋がりが濃いので同じゲームをしていたりする関係上ツイッターとは別で普通に会話をする仲だったりする相手も多いんですよ。

 

なのでツイートの文字数以上の「人柄情報」っていうのかな、そういう物は結構分かっていて。

 

個人的な感覚でしかないんですがいい人であればあるほど何故か割とガチめのクソリプを送ってくる(自分宛てのみではなく他の方に対しても…)って事が徐々に分かって来たんですよ…w

 

中には本当に「からかってやろう」とか思って来るクソリプもあるんだと思いますが特にゲームの中での知り合いの「いい人だなぁ」って思っている人のクソリプ率が思ってるより高くてw

 

ここでひとつ思ったのはクソリプって「受け止める側がそう思ったらそうなんだな」って事。当たり前だけどそれを改めて思いましたね。

 

それから何故そのリプがクソリプだと思われてしまうのか、今の場合だと「クソリプに見えてしまうのか」が正しいですね…と言うと恐らくこういう理由があるんじゃないかって。

 

・基本「リプを送って相手に喜んでもらいたい」(本当にありがとうございます)

・でも「普通に返事するだけじゃ面白くないだろう」と思い

・ついでに「自分の事を知ってもらいたい、この人良い返しするなぁ!とか思ってもらえたら最高じゃね?」って思う

・でも純粋に「真面目でいい人」なので冗談が得意ではないか、普段全く冗談を言ったことがない

・それなのに「自分にしか出来ないリプ」を目指して「若干ストーカーじみた相手のこんな細かい情報を知っているんだぜアピール」になるだけになったり「人のリプで自分語りしている」様な状態に陥る

・結果リプされた相手から「やべ…クソリプかなこれ…怖ッ」となってしまう

 

という事なんだろうと思っています。とても残念ですよね…。

 

だからってリプをする事自体をやめるのはもっと勿体ないと思いますし、それはちょっとずつ気をつけて直していくためにも続ける方が良いと思います。

 

ただ続けてても絶対に治らないので「クソリパー」にならない為にどうしたら良いかを書いていきます。

 

  • 無理に「自分らしさ」を探さない無難なリプが一番差し障りがないのです。らしさがわからないのに無理して出そうとするからそれが違和感になって「クソリプ化」してしまうと認識しましょう。
  • 無理に「良い事を言おう」としない大変に申し訳有りませんが自分の事を「自動クソリプ製造機」であるとまず認めましょう。製造機ブレインになっているので変に考えれば考えるほどクソな発言しか出来なくなってしまいます。
  • 無理に「振り向いてもらおう」としないこれも地味に大事です。気がついてほしくてちょっと引っかかる言い方で気を引こうとかするから「クソリプしかしないなこの人」最悪のパターンだと「うわ…ブロックしとこ」になるんです。

 

これが大げさに思える方は本当に残念ですが「該当者」ですのでお気をつけ下さい。「あぁそういう部分ってあるかもしれないなぁ」って思える様になりましょう。

 

まじで。

 

こう書いておきながら自分はどうなんだと言われるとまだ若干クソリプをしそうになるなぁって思ってますw

 

でも気をつけないといけないな、とも同時に思えているので少しはマシになったのかなぁって。

 

これはまた別の機会に書こうと思いますがこういう人は「名言を言いたいモード」に入る事も多いのでそれもまた厄介ですw

 

要は他人の反応を求め過ぎたりするみたいな「他人を主軸に今日が楽しかったのかどうかを決める人生」はやめて行きましょうねって事ですよ。

 

そう…なんですよこれのが「名言を言いたいモード」の症例のひとつなんです…!

 

みんなも気をつけようね!!

 

ではまた。

その怒りは本当に怒るべきものなのか。

文字の大きさがまちまちになってる気がする…センジマンです。

 

今まではライブドアのブログを長い間使っていたんですがどうにも最近書いている内容とレイアウトが合って無い気がして。

 

ちょっとテキストベースの記事を沢山書きたくなったのではてなブログでやってみている感じです。

 

「心をほぐしたい」とは言え何か資格を持っていたりする訳では無くて。

 

人生経験をする中で(個人的には、ですが)すごく色んな経験をさせてもらって。

 

そんな中で普段目にする他の方のお悩み等を拝見していてついつい

 

~そんなに深く心を傷めなくてもいい事なのになぁ…でもその人にとってはそのくらい大事な事なんだろうなぁ

 

って思う出来事がたくさんあるんですよね。

 

そこまで怒らなくても、とかそこまで憎まなくても、とか。

 

本当に沢山そういう「謎の怒りや憎しみ」が世の中にはある。

 

でもそれは「そう思わされている」と言ってもいい位「ちゃんと考えればそこまで怒らなくてもいい事」だったりして。

 

でもそうやって怒ってしまった事をただ無かった事にも出来なくて、気づいた後も怒り続けないと恥ずかしいみたいに思っている人もいたりするのかなぁ、とか。

 

恥ずかしいから定期的に思い出してまた腹が立つ。でもそれは2回目以降は

 

「自分の恥ずかしさをごまかしているだけ」

 

なんですよ。認めたくないかもしれないけどほとんどそうなんです。

 

誰だって自分の良くない所は認めたくないですから…お気持ちはとても分かりますが…。

 

怒りの感情は数分で無くなりますので、どうか数分間の間にわざわざ怒りの延長ボタンを押し続ける事を今すぐおやめになる事をオススメします。

 

怒ってる暇があったら楽しい事探しましょう。時間が勿体無いです。

 

何にも変え難く取り戻せない物、それが「時間」ですので。

心の安息が一番なんじゃないかな。

どうも、センジマンです。

タイトルの様な事をここ数年特に強く思うんです。

お金がいくらあってもどんなに偉くなっても「心が満たされてない」としたら果たして意味があるのか、と。

でも逆にお金が全然なくて誰からも認めてもらえなかったらやっぱりそれも「心が満たされてない」気がして。

丁度いい具合になるのは難しいのかなぁってw

ところで自分の心を何で満たすかって言うのはお金でも全然良いと思うし地位の確立でも全く構わないと個人的には思うんですよ。

でもそれを大っぴらに公言する事が「何故か」はばかられる。恥ずかしい事みたいな雰囲気ありません?

別にいいじゃんって思ってるんだけど。

かっこ悪いとも思わないし逆に正直で清々しいとさえ思う。

でもその欲求に負けて他者に迷惑をかけるのは違うよねぇ。ってのも同時に思います。

おそらくこの「他者に迷惑をかける」事にちょいちょいつながるからきっと「欲求を素直に言う事」を抑えようとする動きがあった結果自分の欲求を素直に言う事自体が抑圧の対象になっていったんじゃないかなぁって考えてます。

何が言いたいかと言うと私はなるべくなら「好きな事だけして生活して居たい」けど「他者に迷惑をかけて」までそうしたいとは思って無いって言う事はそんなに恥ずかしい事なのかな?って言いたいんですよ。

昔は恥ずかしいと思っていた時期は確かにあったけれど、今となってはどうして恥ずかしいと思っていたのかな?って位には素直にそう思えてる。

そうして自分の欲望を認められると心がすごく軽くなったのでそれを誰かに伝えられたらいいな。

ついでにそういう事を好きに言う事で生活の足しになったらもっと良いなw

そんな事を毎日考えています。ついでに人助けみたいな事になればラッキーかな。

ではまた。

批判する人間の3つのタイプとその対策

人生で少しだけ成功して沢山挫折をしたおじさんがそれでも「この星に生きた印」を刻めたらいいなって思って思い続けた結果…

挫折から学んだ事を伝えて誰かの気持ちが楽になったら良いなぁ

って結論に至りましたので主に心理的な事への意見を書いて行こうと思います。

そんな訳で名前は「Cocolo Come Calm(心が落ち着いていくみたいな意味)」にしました。

今回は「ネットに蔓延る批判について」おじさんの挫折の経験から学んだ事を活かして書かせて頂きます。

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オンラインゲームをやっていたり、ツイッターやインスタグラム等であらぬ批判をされてしまうのは悲しいですよね。

何故か分からないけど他人から批判をされてしまう

そんな方の為に「批判の対象になりにくくなる為にはどうしたらいいか」をお話します

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「批判的な意見をされてしまう」理由

分かりきっている事ではありますが、批判の対象になってしまう為に起こります

本当に間違った発信をしていたりする場合は自分に非がありますので仕方ないんですが

そういう事を言っていない(あくまで主観ですが)のに「批判対象になってしまう理由」は

「批判をする人間の心理」を理解する事で分かります。


人が他人を批判する動機はいくつかあります

・直感的にあなたの意見に怒りを覚えて批判してしまう「直情型」
・批判をする事でその対象より自分が上位の存在であると確認したい「マウント型」
・批判をする事が正しい事だと思う「ヒーロー型」


他にもあると思いますが今回はざっくりとこの3つの軸で考えてみましょう。

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・直感的にあなたの意見に怒りを覚えて批判してしまう「直情型」

これは文字と音声の場合で少し変わりますが原因としてはほぼ同じです。

文字で見る場合、特にツイッター等のテキスト数が少ないモノでは瞬時に全体を読めた気になってしまうので誤解も生じやすい。
文字も動画等で音声で聞く場合も目に付きやすい情報は「切り取られた情報」が多く誤解が起きやすい。

直情型の人はこれらの中の「自分への批判に見える単語や言い回し」にとても敏感でしかも残念な事にそういう方の多くは文章全体としてはそうじゃない文章でも勘違いだとしても

「怒りを覚えたならすぐに」反応してしまう

ので「あなたへの批判的意見」として現れてしまいます。

「直情型」からターゲットされにくい方法は

「”トガり言葉”をやめて”まるみ言葉”に変える」

簡単に言うと誰が見ても批判的には見えない言葉を選ぶ事です

要は「直感的にイラっとくる言い方」をやめれば直情型の目に留まらないのです

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・批判をする事でその対象より自分が上位の存在であると確認したい「マウント型」

このタイプは少しばかり厄介で前述の「まるみ言葉」でも反応してくる事があります

何故ならこのタイプはマウントを取れそうなら「内容なんて正直どうでもいい」からです

やべぇですね

とにかく「相手が自分よりちょっとでも格下に感じられた」なら御高説痛み入らせたくて下手したら行動全てに難癖を付けてきます。

このタイプは反応をすればする程喜んでマウントを取ってくるので結果として「相手の意見も認めた上で丁寧に対応してしばらく放置」が推奨されるかと思います

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・批判をする事が正しい事だと思っている「ヒーロー型」

ある意味一番厄介なタイプですのでこのタイプに引っかかってしまった時は心してかかりましょう
正直マジでたちが悪いです
このタイプは謝っても「(その人からみて)悪い所が治ったかどうか」を

***見張っています***

最悪ですねぇ。

ヒーロー型は自分が正しいと思っているのでこの3タイプの中で一番やべぇんですよ@@

そして残念な事にヒーロー型の多くが「直情型」か「マウント型」を併発しているので
「直情ヒーロー」とか「マウントヒーロー」とかそういう形で現れてきます。

正直キツいっす

解決法はふたつ「座して嵐が過ぎるを待つ」か逆にいい機会なので思い切って「ご指導ご鞭撻願い」
「よしもう君は大丈夫だね!」ってなるまで付き合うか…でもやっぱ座して待った方がいいかな…。

個人的に「ヒーロー型」が一番苦手です


というわけで3つのタイプの対処法をざっくりしてみましたが
これは「自分が間違った意見をしていない」事が前提です

では「間違った意見」とは何か?

見た人の主観でいくらでも変わっちゃいますよね

「パンが好きなので毎朝パンしか食べてません」と言う言葉だけでは
まぁ特に間違いはなさそうに思えますが

それが稲作農家の集まりで意見を求められて言った言葉だったら?
周囲の全員から批判されてしまいそうですよね。

面と向かえばそういう間違いはなかなか起きませんが
ことインターネット上ではそういう勘違いが起きやすいですよね

どういうタイミングでその意見を見るかによって全く意味が変わってくる

考えを巡らせて行くと何も言えなくなっちゃうじゃん!ってなっちゃいそうです。

でもそれはそれでひとつの答えなのかも。

それから本質的には自由に意見をしたけど批判をされたくないと言う願いは

叶いません

焚き火にあたりたいけど煙臭くなるのは嫌だとか言ってるのと同じです
どんな事もリスクゼロには出来ないのです

しかし何もしないよりは対策を知っておいた方が圧倒的に楽なのでこの「ヒーロー型」の説教記事を拝見した事をいい機会だと思って

自分の中のヒーローが「もうキミは大丈夫だ!」っとなるまで他の記事もお読み頂ければうれしいです。


ではまた。