心の安息が一番なんじゃないかな。
どうも、センジマンです。
タイトルの様な事をここ数年特に強く思うんです。
お金がいくらあってもどんなに偉くなっても「心が満たされてない」としたら果たして意味があるのか、と。
でも逆にお金が全然なくて誰からも認めてもらえなかったらやっぱりそれも「心が満たされてない」気がして。
丁度いい具合になるのは難しいのかなぁってw
ところで自分の心を何で満たすかって言うのはお金でも全然良いと思うし地位の確立でも全く構わないと個人的には思うんですよ。
でもそれを大っぴらに公言する事が「何故か」はばかられる。恥ずかしい事みたいな雰囲気ありません?
別にいいじゃんって思ってるんだけど。
かっこ悪いとも思わないし逆に正直で清々しいとさえ思う。
でもその欲求に負けて他者に迷惑をかけるのは違うよねぇ。ってのも同時に思います。
おそらくこの「他者に迷惑をかける」事にちょいちょいつながるからきっと「欲求を素直に言う事」を抑えようとする動きがあった結果自分の欲求を素直に言う事自体が抑圧の対象になっていったんじゃないかなぁって考えてます。
何が言いたいかと言うと私はなるべくなら「好きな事だけして生活して居たい」けど「他者に迷惑をかけて」までそうしたいとは思って無いって言う事はそんなに恥ずかしい事なのかな?って言いたいんですよ。
昔は恥ずかしいと思っていた時期は確かにあったけれど、今となってはどうして恥ずかしいと思っていたのかな?って位には素直にそう思えてる。
そうして自分の欲望を認められると心がすごく軽くなったのでそれを誰かに伝えられたらいいな。
ついでにそういう事を好きに言う事で生活の足しになったらもっと良いなw
そんな事を毎日考えています。ついでに人助けみたいな事になればラッキーかな。
ではまた。