僕はこの人が死んだ時、泣くのだろうか?

今年2021年10月15日より「劇場版光のお父さん」が台湾で上映されますね。

 

 

本当にすごい。私はこの作品がとても好きです。

 

原作のマイディーさんのブログで「光のお父さん」を知った。

FF14を始めようと決めた決定打も「光のお父さん」だった。

 

ドラマと劇場版の両方楽しみながら、感動しながら、そしてその才能に嫉妬しながら拝見させて頂いた記憶が今でも鮮明に思い返されます。

 

※マイディーさんが最後にFF14で教えたであろう生徒「ひかりとお姉さん」の二人(と1匹)はゆえあって今私が現在(2021年9月末時点)一部付き添いをさせて頂いております。なのでやっぱり思い入れは大きくなってしまいますね。

 

その「光のお父さん」の作品で冒頭に出てくる文面を今回のテーマにさせて頂きます。

 

「僕はこの人が死んだ時、泣くのだろうか?」

 

センジマンの個人的な答えを先に言いますと答えは「いいえ」です。

父が亡くなった時「不思議なほどに」泣かなかった。泣くという発想がそもそもなかったし…実際は「それどころじゃない」だけだったのかもしれません。

 

本当に亡くなる1週間前あたりまで「具合が悪いんだろうなぁ」とは思いながらも会話がある程度成立もしてたし、声も…今思えばそうでも無かった気もするけどしっかりしてた様に感じた。

 

本当はこの件は書かないでおこうって思っていたんですが理由も分からず何となく書き始めてしまっています。

さっき実家に寄ってきた時にみんなで「父が夢に出てこんな行動をしていたんだw」って話してたから触発されたのかな。

 

そんなわけでご報告が遅れましたが2週間ほど前に父が他界しました。82歳でした。

 

幸いにも(口々にお参りに来られた方がそう言ってくれるのできっと間違いなく)家で息を引き取れた父。

 

最後に家に帰ってきた時はストレッチャーだったけど自分の家だと天井を見て気づいた時のテンションの上がり様は見ているこっちが笑ってしまう位だったなぁ。

 

「おい!みたことあるなここ!はっはっは!」

 

そういやお父さんがあんな大声で笑ったん久々に聞いたわ。

 

どうやら病院での検査の結果とか周りの様子を見て「どこか緩和病棟とかに行くんかな、しかたないけど嫌だな」みたいに思ってたのかもしれない。

 

ある人は「最後まで自分の生き方を貫けたんだと思います」と褒め、またある人は「こんなに安らかな顔してる人見たこと無い」と表情を和らげた。

 

お父さんの兄弟の、私にとっては「おじさん」が私の50倍くらい泣いてた。

いや50じゃない私は泣く度「ゼロ」だから何倍にしても0だった…まぁ、その感じを見て「あぁ父は頼られていたんだなぁ」って思って少しうるうる来たけれどそれは「父が亡くなった事自体に泣いた」とは全く言えないなぁとも同時に思ってしまい。

 

元々自分がかなり酷いサイコパスやマキャベリズムっていういわゆる「ダークトライアド」の性質を持っている事は自覚していたからきっと泣いたりしないんだろうなぁって思ってたいたけど、ここまで感情が動かされずに今日に至っているのは(自分の奥を見ないようにしているだけかもしれませんがw)前からしてた自己分析よりも全然ひどい(感情が動かない程度において)と思っています。

 

流れ…の説明をさせて頂きますと、私のお父さんは10年前に悪性リンパ腫が分かり抗がん剤治療を半年やって5年後に寛解、その翌年に前立腺がんのステージ4(末期に相当する様です)って言われて5年後が今って感じでして。

 

それだけでも相当体に負担かかってたんだろうな、と今では思えます。

 

メチャクチャ仕事人間で会社を複数経営していた商売人(1代で築き上げたタイプの)だったので医者に「治療が今のあなたの仕事だと思ってください」ってキツめに言われるまで仕事してたっけ。言われても仕事は仕事でしてたなそういや…w

 

債権債務の関連があるので仕事の詳細な部分は書けません(債務名義等で先方に権利が残っている物もありまして…)が、とにかく出来得る限りの方法で「逃げずに」全てを解決しようと動けなくなった後でも必死に交渉や相談等しておりました。

 

個人的にマイディーさんの件がある前年とその後(今回)に近い親族を亡くしたので(父以外のもう1方の部分はプライバシー上の観点からどういう続柄の相手かのお伝えは控えさせて頂きます)直近の3年間は毎年大事な誰かが居なくなっている感覚です。

 

それがネガティブなのかポジティブなのかは考えるつもりはなく(どうせ何をどう考えてもネガティブになるので)、それでもただただ向き合って行くんだと思います。

 

人の死について3年も考え続けた、いや直面し続けたって言ったほうがいいのかな(…きっともっともっと大変な方は星の数ほどいらっしゃるのでしょうが)、そういう心境が今も続きます。

 

この経験を話す事で「いつか似たような事で苦しむかもしれない誰か」のひとしずくの支えになれて行くと良いなぁ、なんて淡い期待をしながら今日の記事を締めて行こうと思います。

とりとめのない文章でしたが最後までお読み頂けていたのなら嬉しいです。

 

最後は私の父…ではなくマイディーさんの好きだった言葉で締めさせて頂きますね。

 

「また、明日。」