「失敗」が「安心」を作る3つの理由。

こんにちは、センジマンです。

 

なんとなく名前の由来とかを書いたほうが良いのかなぁと思ったりしましたがそれは記事の「ネタ切れ」をしてから仕方なく書くことが思いつかないから書くみたいな流れの時にしようと思います。

 

そう言えば最近「オートファジー空腹ナッツ」って言う生活を始めてみました。

 

個人差はありそうですが自分的には人生で今が一番元気なんじゃないかって思える位には合ってそうです。「16時間の空腹時間を作る」みたいなヤツねw

 

ってな訳で今回のテーマはこれです。

 

「失敗」が「安心」を作る3つの理由

 

人生って基本不安しかありませんよね。私も不安ばっかりでした。

 

「でした」と言うのは今はそんなに不安じゃない状態になっているからです。

 

とは言え仕事が順調かって言うと借金は数千万円あるし別にこのブログで収益がある訳でもなくてw

 

家賃払えるかなぁどうかなぁって言う感じで、金銭的に安定もしてなかったりもします。

 

それでもそれらが無かった時期よりは遥かに心が安定しているんですよね。

 

今自分で改めて文字に起こしてみて不思議だなぁって再認識している…なんでだw

 

改めて「なんでだw」って思ってしまった自分にジワジワ来ていますが…その理由を今から色々書いていきますね。

 

1,不安だと思っていた事がどういう事なのか分かるようになった

 

不安って基本漠然としてませんか?なんとなくこの後人生どうなるんだろう、とか。この幸せは続くのどうかって悩んだ瞬間全てが不安になる、とか。

 

ところで、私は人生の中で失敗を沢山してきました。

 

仕事が上手く行かなくて支払督促(金額で言うと最大2,000万円程度のものなど)で酷く延滞したりして裁判所に呼び出されて「被告人、前へ」って言われたり、閉店直前に裁判官や警察が来てその日の売上全て(確か200万円程度)を差し押さえられてしまったり。

 

実際に債権債務と言う関係に置いては自分が悪い、と言う結論しかないんですが事情があったり相手にも事情を汲んでくれる方も居たりして相談に乗ってもらったりしながらやり取りはするんですが、それでもこちらが分からない部分での向こうの事情もある。

話し合いを沢山持っても折り合いがつかず向こうもやむ無く強硬手段にでているのは分かっちゃ居るんだけど「なんで今日なの!?自分は仕方ないけど今日それ抑えられたら従業員に給料払えくなるじゃん…!!」みたいな事も沢山ありました。

 

…あれ?違う話になってますねすみません!

 

話を戻しますと人生「何が起きるか分からない」のです。だから「わからんもの」を「わからん条件分岐」でいくら脳内で答えを求めても絶対に安心には繋がらない。

 

だから「分からない」と言う答えを出して「分からないから動きがあるまでほっとくしか無いな」みたいな所に気持ちを落とし込んで落ち着く事が出来るんです。

 

それで分からない状態の時に人に訊ねられたり対応を求められたりしても一旦「悩ましい事だと思いますが今はまだ回答に至っていません」と言う事を即答出来る。

 

このパターンでは「即答できる」事が「安心」の材料になります。失敗を重ねている事で「分からないと即答するパターン」の安心が得られる様になるわけですね。

 

2,不安な結果に何度もたどり着いた結果安心出来る様になる

 

これは「エンディング分岐型のゲーム」に置き換えるとわかりやすいのかもしれません。Aのエンディングが一番のハッピーエンドでFのエンディングがバッドエンドみたいな分け方として考えてみましょう。

 

そういうゲームってぼーっとプレイしてたら大体Fエンドになりますよね。

 

ゲームのまんま人生に置き換えるとヤバい感じしかしませんが、人生って(違ったらすみませんが私はこう考えています)ある程度分別が付いていればそうそうFエンドにはなりませんってかエンドって何さ?って話なんですがw

 

そうなんです、エンドってそうそう来ないんですよ。

 

人生って「命がある限り」は続いています。オートセーブというハードモードな感じではありますが。

 

なのでその時目の前で自分が「これバッドエンドだわ…」って思ったとしても生きているならばそこからもっと良いエンディングに向けて再出発出来るんです。

 

何を持って「それより良い」とするのかってのはありますが少なくとも「同じ間違い」はしないで置こうって思う事は出来る訳です。

 

ここで「同じ間違い」を複数回してしまう場合きっと何か自分の中にある「欲望」に負けているケースが多いのでそれを解決する事を考えていきましょう。

 

そうでない場合は失敗の経験から「同じ間違い」はほぼしなくなっているはずです。

 

失敗をした事により人生の物事の一部を理解した状態になるので全体からみて「安心」の領域が広がる、と言う訳です。

 

3,失敗を重ねると経験が増え、失敗しそうな物に違和感を信じられるようになる

 

この3つ目の事はちょっと個人差が出るかもしれません。

 

動物的勘みたいな事を書くんですが「なんかこの人の言ってる事がスーッと頭に入ってこないな」みたいな事とか「チェックが終わってるって聞いたけどこの仕事もう1回確認したいなぁ」みたいな事ってあると思うんですよ。経験値を重ねると得に。

 

そうなんです、1と2をある程度体感で分かるようになってから始めて実感するのが3なんですよね。

 

実体験をひとつ言うと昔印刷会社で働いていた時期が少しだけありましてね。

 

「もじこう(文字校正)」って言う印刷物に書いてある文字に間違いがないかを確認する作業をしていた時にある人物の紹介が書いてあって。

 

文字的には全く間違いは無かったんですがどうも違和感が拭えなかったんですよ。本人にも文面を「訂正がアレば○日までにお教え下さい」ってメールして締め切り当日まで「違いますよ」とは言われなかった。

 

でも何故か違和感がずっとあって。

 

あぁだめだやっぱ気になる!って思って印刷直前に直接その人に電話したら「え?そのメール見てないよ!見るね!」みたいな感じで「この情報の年が違う」とか「この出典は間違っている」とか複数の修正点が出てきた。

 

(頼むよ…個人情報は流石に調べきれないからメール見て…)

 

とは一瞬思いましたがここで重要なのはそういう事ではなく「感じた違和感に正直になった事で問題点が分かって解決出来た事」なんですよね。

 

でもこの「自分の感覚を信じる」って所はパッと見真逆の「そもそも自分を信用しない」って言う手法を実践して安心を得ている人も居るので一概には言い切れない。

 

でも「自分を信じない」って言う方法も確認をする事に置いては相当重要な事なのでうまく両方使い分ければ更に安心度が上がりますね。

 

・・・・・

 

まとめですが、安心したいなら

 

不安に向き合いそれを理解して、それでも失敗してしまう事もあるけれどちゃんとそれを糧にして同じ過ちを犯さない。そしてそうやって積み重ねてきた経験値に基づく自分の勘を養って行こう!

 

って事になるのかなって思います。

 

人間は分からないものや理解できてない物事がとにかく不安です。それをひとつずつ減らしていけば自ずと安心が増えていきます。

 

ではまた。