謙虚にしなきゃと思って「そんな事ないです」と返事し続けてたら嫌われるのなんで?

こんにちは、センジマンです。

 

暖かくなってきたなぁと思って上着を着ないで外に出たら気温は高いんだけど風が冷たくてソッコーで戻って上着を取ってきました。

 

気温だけに惑わされてしまっていましたね…気をつけよう。

 

そんな訳で今日のテーマはこちらです。

 

謙虚にしなきゃと思って「そんな事ないです」と返事し続けてたら嫌われるのなんで?

 

これを体感で感じる事って実はほぼ無いので「ちょっと何言ってるかわからない」って言う方が殆どかも。

 

なので順を追って説明して行きますね!

 

そもそも「そんな事ないです」を「何を言われた時の返事で言うか」を間違える事がマズいんですよねって言うのはきっとご理解頂けるのではないでしょうか。

 

『キミかわうぃーね』→「そんな事ないです」

 

これは正解っぽい。

 

『ボクはキミの事を信じているよ』→「そんな事ないです」

 

ん?いやいやいやいや?!

 

例を出すセンス…みたいな所はありますがw

 

「そんな事ないです」と言う言葉ひとつ取っても言って良い時とそうじゃない時がある、というのは冷静な時に考えればすぐ分かるんですよね。

 

しかし実際「自分がそれを言ってきた時の記憶」を呼び起こして見て下さい。

 

基本は褒められている時に「そんな事ないです」って言うんですがそれを言い過ぎるとですね

 

褒めてくれている人の見立ての能力を否定する事になるんですよ。

 

これって結構多くの人が間違えている。「そんな事ないです」って言うのが謙虚だって所から先への思考が進んでいないんですよね。

 

「そんな事ない」って思ってるのは貴方の素直な気持ちなのでしょうからそれは否定はしないんですが、だったら褒めている人の気持ちも否定出来ませんよね?

 

なので結果として間違えて他人を否定してしまう事になるので「嫌われる」んですが、これ系の嫌われる感じってガチ目なので面と向かって嫌いだ!とか言ってくれなくって、気がついたら交流が減っていくのパターンです。

 

なので真剣にお気をつけ頂きたく思います。

 

あと、この記事を読んで「そんな事ないです」と思う方はすみません。いつか間違いに気づいた時、この記事を思い出して「そんな事あったわー」って思い出しながら笑って頂ければ有り難いです。

 

ではまた。

物事が「分からない=無能」ではない。

無意識で猛烈にイライラしていたんですが空腹だったからみたいです、センジマンです。

 

刻み生姜とニンニクのみじん切りをベースにしたお粥の様な料理「セジゲタン」を食ゆっくり食べながら調べ物の続きをしていたら割と気持ちも落ち着いて来ました。

 

生姜で体を温め直せた事も良かったのかもw

 

とはいえちょっとオーバーワークっぽさもあるのでそこも気を配りつつ今回のテーマはこちらです。

 

物事が「分からない=無能」ではない。

 

「分からない」の部分は「出来ない」に置き換えても可、です。

 

これは自らがダメだなぁって思っている方のみならず、人を使う様な立場になっているのに誰も付いてこないなぁって思っている方にこそ聞いて頂きたい事なんですよ。

 

結論から先に書くと「分からない(出来ない)事」ではなく「分かろうとしない(出来る様になろうとしない)事」ならば能力が高くないよねって話。

 

それと混同している方が本当に多くて。

 

あとは分からないって言う程度の段階で「自分はダメだ」とか「お前はダメだ」って言う考え方が「浅い」ので、マジで能力があるタイプの人相手にはそれで「自分ってダメだ」とか「あいつはダメなやつだ」とか言う事自体

 

「はーい!ボクバカでーす!」って大声で言っているのと同じ事になったりしますのでご注意下さい。

 

そうなんです。よくよく冷静に考えれば最初って誰でも何事においても「分からない」し「出来ない」んです。

 

ただ、才能がありすぎてすぐ出来る様になったりする人はいますが最初はやっぱり出来ないんですよ。

 

もしくは知識や経験でできなさそうな部分をカバーして「最初から出来ていた様に見える」っていう感じなだけで。

 

なので「分からない(出来ない)事がある」事で自分を卑下している、他人を蔑んでいると言うのは本当の意図は別にあるんですよね。

 

本当は「そんな事ないよ」って言ってほしいだけです。

 

本当は「そうだよね、大変だね」って言ってほしいだけなんです。

 

単純になぐさめてほしいだけ。

 

それはそれで重要な事ですし心の安定には欠かせない要素である事は間違いありませんし、こういう事が分かって居るからと言ってそういう物言いをしている人を見ても「慰めてほしいだけじゃん」とか絶対に言ってはいけません。

 

さすがに言っちゃいけない理由、書かなくていいですよね?

 

人間、時には負の感情を吐き出す事も必要で、この場合は先に自虐をして他人から言われた時のショックを減らしたいとかもあるんですが、そういう時ってあるじゃないですか。

 

なので「あぁ大変なんだなぁ」ってそっと心の中で思って、特に見てなかったフリをしながら別の事で褒めたりするのが丁度良いんだと思います。

 

精神が未熟な部分を見透かされてしまう事がそういう人には一番キツいので、そこは見て見ぬ振りをすると言う事も大人としては大事だったりしますからね。

 

そんな訳で、この記事の途中で書いてるイキり発言もどうか「見て見ぬ振り」をして頂ければ幸いです。

 

ではまた。

誰かの活動に対し「自分には行けない場所だから嫌」みたいな事を真っ先に言う人に違和感を感じている。

今日の記事のタイトルを見て「気持ちは分かるって言うのは大前提として」って事が分からない方は読まない方がいいです、センジマンです。

 

コロナ渦ってのもあってこれに関しては「現実」の話と思って下さい。

 

オンライン上、特にFF14等のオンラインゲームでキャラクターを(今)作ってないとかそういう話(予め作っておけばいいじゃん)ではありませんってかゲーム上でしたら「本気」で行く気あったらどこでも行けますので話題の対象にはなりませんのですみませんw

 

あのですね、マジで「気持ちだけ」なら分かりすぎるほど分かるんですが口に出した所でそれが解決される状況じゃない時にしか聞かないんですよねこういう系統の言葉って。

 

と、言うわけでほぼ答え書いちゃった気もしますが今日のテーマはこちらです。

 

誰かの活動に対し「自分には行けない場所だから嫌」みたいな事を真っ先に言う人に違和感を感じている。

 

著名な方が何かイベント等に出演するとか、何かを応援したりする様な活動でも目にしますよね。

 

これって実は割とその発信をしている人には失礼な事なんですよね。

 

というかその発信者がその発信(応援や出演等)について「来られない人がいる」と言う事ってそもそも論として「すでに考えている」可能性が非常に高いんですよ。

 

なので前後の発信をザラザラっと見たりすると「今回はこれこれこうこうの理由で○○地域しかいけませんが」とか言ってます。

 

言ってないからと言って考えてないって言いだすのも頭悪い人なんですが@@

 

ここで重要なのはそういう事を「言う」事じゃなくて「真っ先に言う」事です。

 

ある程度情報を整理した上でそれでも残念だなぁって思ったり場の空気がその件に関して無頓着であり続けるのでしたら言っても良いかもしれませんが(とはいえわざわざ揉めに行くような物なのでオススメしません)…

 

真っ先に言うという事はイコール「相手の事を考えずに自分の事情や欲求を真っ先に言う」としか「映らないから」気をつけましょうねって言う話です。

 

単純にそう。申し訳ないんですがそれをしてしまっている人は99%他人から見て「浅はかで愚か」に映っています。

 

何度か書いた気がしますが自分がどう思っているのかは関係なく他人からどう見られているか、がこういう問題ではとてつもなく重要です。

 

よく「自分らしく」みたいな事が素敵!みたいに言われますがそれはほぼ幻想です。

 

センスないヤツが自分らしくしてても「わぁすごいね!」って言ってくれるのは貴方のお母さんだけじゃないかなぁ。

 

だから人は「他人からどう見られているか」は適度に気にした方が良いと私は考えています。

 

もっと言えば気にして気にして気にしすぎて身動き取れない位まで気にしてから1回開き直ってみたけどやっぱり気になるからうわー!ってなってそれでも気にし続けてたらちょっとだけ答えに近づけます。

 

あと、誰かの言葉に違和感を感じた時にそれを取り巻く状況はなるべくずべて考慮に入れましょう。同じ言葉でも状況によって全く変わってきますので。

 

…大丈夫かなこれ。読んで怒った人がいたらすみません、でも本心なので心当たりがある方は気をつけましょうね!お互いに!

 

ではまた。

「失敗」が「安心」を作る3つの理由。

こんにちは、センジマンです。

 

なんとなく名前の由来とかを書いたほうが良いのかなぁと思ったりしましたがそれは記事の「ネタ切れ」をしてから仕方なく書くことが思いつかないから書くみたいな流れの時にしようと思います。

 

そう言えば最近「オートファジー空腹ナッツ」って言う生活を始めてみました。

 

個人差はありそうですが自分的には人生で今が一番元気なんじゃないかって思える位には合ってそうです。「16時間の空腹時間を作る」みたいなヤツねw

 

ってな訳で今回のテーマはこれです。

 

「失敗」が「安心」を作る3つの理由

 

人生って基本不安しかありませんよね。私も不安ばっかりでした。

 

「でした」と言うのは今はそんなに不安じゃない状態になっているからです。

 

とは言え仕事が順調かって言うと借金は数千万円あるし別にこのブログで収益がある訳でもなくてw

 

家賃払えるかなぁどうかなぁって言う感じで、金銭的に安定もしてなかったりもします。

 

それでもそれらが無かった時期よりは遥かに心が安定しているんですよね。

 

今自分で改めて文字に起こしてみて不思議だなぁって再認識している…なんでだw

 

改めて「なんでだw」って思ってしまった自分にジワジワ来ていますが…その理由を今から色々書いていきますね。

 

1,不安だと思っていた事がどういう事なのか分かるようになった

 

不安って基本漠然としてませんか?なんとなくこの後人生どうなるんだろう、とか。この幸せは続くのどうかって悩んだ瞬間全てが不安になる、とか。

 

ところで、私は人生の中で失敗を沢山してきました。

 

仕事が上手く行かなくて支払督促(金額で言うと最大2,000万円程度のものなど)で酷く延滞したりして裁判所に呼び出されて「被告人、前へ」って言われたり、閉店直前に裁判官や警察が来てその日の売上全て(確か200万円程度)を差し押さえられてしまったり。

 

実際に債権債務と言う関係に置いては自分が悪い、と言う結論しかないんですが事情があったり相手にも事情を汲んでくれる方も居たりして相談に乗ってもらったりしながらやり取りはするんですが、それでもこちらが分からない部分での向こうの事情もある。

話し合いを沢山持っても折り合いがつかず向こうもやむ無く強硬手段にでているのは分かっちゃ居るんだけど「なんで今日なの!?自分は仕方ないけど今日それ抑えられたら従業員に給料払えくなるじゃん…!!」みたいな事も沢山ありました。

 

…あれ?違う話になってますねすみません!

 

話を戻しますと人生「何が起きるか分からない」のです。だから「わからんもの」を「わからん条件分岐」でいくら脳内で答えを求めても絶対に安心には繋がらない。

 

だから「分からない」と言う答えを出して「分からないから動きがあるまでほっとくしか無いな」みたいな所に気持ちを落とし込んで落ち着く事が出来るんです。

 

それで分からない状態の時に人に訊ねられたり対応を求められたりしても一旦「悩ましい事だと思いますが今はまだ回答に至っていません」と言う事を即答出来る。

 

このパターンでは「即答できる」事が「安心」の材料になります。失敗を重ねている事で「分からないと即答するパターン」の安心が得られる様になるわけですね。

 

2,不安な結果に何度もたどり着いた結果安心出来る様になる

 

これは「エンディング分岐型のゲーム」に置き換えるとわかりやすいのかもしれません。Aのエンディングが一番のハッピーエンドでFのエンディングがバッドエンドみたいな分け方として考えてみましょう。

 

そういうゲームってぼーっとプレイしてたら大体Fエンドになりますよね。

 

ゲームのまんま人生に置き換えるとヤバい感じしかしませんが、人生って(違ったらすみませんが私はこう考えています)ある程度分別が付いていればそうそうFエンドにはなりませんってかエンドって何さ?って話なんですがw

 

そうなんです、エンドってそうそう来ないんですよ。

 

人生って「命がある限り」は続いています。オートセーブというハードモードな感じではありますが。

 

なのでその時目の前で自分が「これバッドエンドだわ…」って思ったとしても生きているならばそこからもっと良いエンディングに向けて再出発出来るんです。

 

何を持って「それより良い」とするのかってのはありますが少なくとも「同じ間違い」はしないで置こうって思う事は出来る訳です。

 

ここで「同じ間違い」を複数回してしまう場合きっと何か自分の中にある「欲望」に負けているケースが多いのでそれを解決する事を考えていきましょう。

 

そうでない場合は失敗の経験から「同じ間違い」はほぼしなくなっているはずです。

 

失敗をした事により人生の物事の一部を理解した状態になるので全体からみて「安心」の領域が広がる、と言う訳です。

 

3,失敗を重ねると経験が増え、失敗しそうな物に違和感を信じられるようになる

 

この3つ目の事はちょっと個人差が出るかもしれません。

 

動物的勘みたいな事を書くんですが「なんかこの人の言ってる事がスーッと頭に入ってこないな」みたいな事とか「チェックが終わってるって聞いたけどこの仕事もう1回確認したいなぁ」みたいな事ってあると思うんですよ。経験値を重ねると得に。

 

そうなんです、1と2をある程度体感で分かるようになってから始めて実感するのが3なんですよね。

 

実体験をひとつ言うと昔印刷会社で働いていた時期が少しだけありましてね。

 

「もじこう(文字校正)」って言う印刷物に書いてある文字に間違いがないかを確認する作業をしていた時にある人物の紹介が書いてあって。

 

文字的には全く間違いは無かったんですがどうも違和感が拭えなかったんですよ。本人にも文面を「訂正がアレば○日までにお教え下さい」ってメールして締め切り当日まで「違いますよ」とは言われなかった。

 

でも何故か違和感がずっとあって。

 

あぁだめだやっぱ気になる!って思って印刷直前に直接その人に電話したら「え?そのメール見てないよ!見るね!」みたいな感じで「この情報の年が違う」とか「この出典は間違っている」とか複数の修正点が出てきた。

 

(頼むよ…個人情報は流石に調べきれないからメール見て…)

 

とは一瞬思いましたがここで重要なのはそういう事ではなく「感じた違和感に正直になった事で問題点が分かって解決出来た事」なんですよね。

 

でもこの「自分の感覚を信じる」って所はパッと見真逆の「そもそも自分を信用しない」って言う手法を実践して安心を得ている人も居るので一概には言い切れない。

 

でも「自分を信じない」って言う方法も確認をする事に置いては相当重要な事なのでうまく両方使い分ければ更に安心度が上がりますね。

 

・・・・・

 

まとめですが、安心したいなら

 

不安に向き合いそれを理解して、それでも失敗してしまう事もあるけれどちゃんとそれを糧にして同じ過ちを犯さない。そしてそうやって積み重ねてきた経験値に基づく自分の勘を養って行こう!

 

って事になるのかなって思います。

 

人間は分からないものや理解できてない物事がとにかく不安です。それをひとつずつ減らしていけば自ずと安心が増えていきます。

 

ではまた。

人生がしんどい人は「決めない」と言う事を「決める」と楽になる。

こんにちは、センジマンです。

 

このブログには経験上体感した事のみを書く事にしていますが、今回も経験上体感した事なので誰かの心がほぐれるきっかけになると嬉しいです。

 

って事で今回のテーマ

 

人生がしんどい人は「決めない」と言う事を「決める」と楽になる。

 

です。

 

これは15年位前に当時の上司から打ち合わせの際に言われた言葉が基になっているんですよね。

 

その時は「仕事が嫌になったのでやめて実家に帰ります」みたいな事を言ってたんだっけなぁ。

 

そしたら上司は「気持ちは分からなくもない」って言いながらいくつか話をしてくれました。

 

~辞めるという事を決めると楽だよね。でもそうするとまた同じ分野でチャンスがあった時戻りにくくないか?キミの場合は辞めるかどうかは決めないけれど別の方向にしばらく向かう、とかそういう考え方にした方が良いぞ。

 

確か、そういう風なニュアンスの事を言ってもらえたんだ。

 

実際に当時の職場は実家に帰るとほぼ出来なくて(通勤片道8時間とかになる)、今で言う所のリモートワークみたいな形でしか継続はできないから結果として「辞めた」って決める事とほぼ変わりはない。

 

結局事実としてはそこを辞めたんだけどもw

 

今の時代なら分かるんだけど、リモートでも別の仕事が出来る状態ってとっても有り難い事なんですよ。実際実家に戻って生活が安定するまでのしばらくはデータ共有とかそういう仕事をしばらく回してくれたりもしたし。

 

それを15年前に気づいて言ったくれた上司には本当に感謝しかない。

 

もしかしたら本音は「やめてもらったら困るから色々仕方ないけど頼み事は出来る様にしとこ」だったのかもしれないけどw

 

でもそのお陰で今でもなんとなく「細かく決めないでおこう」って言う事に気を配っていて。そのお陰で色々なことが「広がる」と言う結果をいくつも掴めている。

 

細かく決めると、ほぼ全ての出来事を自分で責任まで持つ事になり、責任が取れないと詰まったり炎上したりする。決めたのは「自分」だからね。

 

決めれば決める程「自分で責任を持たないといけない部分」が増え続けて人生がしんどくなる。

 

しんどくなるから気持ちを楽にしたくて「これはこうだ」と更に何かを「決めて」それで「不安要素を取り除こうと」する。

 

(カテゴライズで気分を落ち着けようとする作業がこれに当てはまります。)

 

そしたらまたその決めた事によって自分の生き方に縛りが生まれて人生がまたちょっとしんどくなる。

 

多分「人生がしんどい人」ってこういう流れの人が多い。

 

だったら決めるのやめよ?決めないといけない最低限の事はあるかもしれないけどさ。

 

最終的には「ルーティーン」って言う物も自分を縛る事だと思っているから(それが出来るから能力が引き出せる=それが出来てないと引き出せない)ルーティーンすらも極論作らないようにしてます。

 

ズボンを左から履くと一日調子がいいって言うのとかあるじゃないですか?

 

右から履いた日どうすんの?w

 

脱いで左から履き直すん?w

 

右から履いても同じだってw

 

はっきりいってあぁいうのは「それで売上が変わる人たち」がそういう物を作り出そうとしているだけで、気持ちの問題です。

 

でも気持ちがそういう物で保たれる事も事実。少しずつ決めない事で心を鍛えていけたら良いですね。

 

ではまた。